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ふらっと

ふらっと

サヤマ・ニュータウン

地球連邦の発足と宇宙世紀の施行以来、国家という人民の枠組みはだいぶ希薄化されたものの、連邦に属する“ネイション”としての“クニ”は存続している。コロニーから地球へ降り立つほどではないにしろ、隣の“クニ”へ渡航する際のシステムも、昔と変わりがなかった。
 ただ、数度にわたって繰り返されたスペースコロニーや小惑星の墜落が災いし、宇宙世紀以前の地図とはまったく異なってしまった“クニ”も少なくない。最も最近の事例は、ネオジオンに隕石を落とされたチベットである。
 このときの余波は、日本列島の一部にも大規模な地殻変動を促した。だが一年戦争時代に既に『メトロポリタン・ナス』が壊滅し、国家としても超長寿・高齢国に属していたこの“クニ”には、連邦政府の経済を後押しできる力もなかったため、これといった復興対策も行われていない。
 連邦政府の現地行政府はオーサカに移され、やはり一年戦争を経て中国から独立したホンコン・シティーに寄りかかりながら、大陸と大海に挟まれ、うずくまるような“クニ”に衰退していた。
 サヤマ・ニュータウンは、大昔にはシュトケンと呼ばれたトウキョウの郊外ベッドタウンであったが、一時期はどこからどこまでがトウキョウで、またサヤマであるのかが分からないほどのコンクリートジャングルと化していた。
 これがトウキョウもろとも崩壊し、がれきの山になったことは、サヤマという丘陵地にとっては幸いであった。
 なぜなら、屍とがれきを覆い隠すようにさまざまな植物が群生する草原の土地となり、失われていた森も再び増殖の傾向にあったからだ。
 ニュータウンという名前は、地域の名前としてだけこの地に残った。
 ともかくも、スペースコロニーで確立された人工の生態系とは異なる、生命力の強さがものを言う土地なのだ。
 もうひとつ付け加えるなら、一年戦争でトウキョウが壊滅する原因となった“宇宙戦艦の艦主部分の墜落”のために、この丘陵地帯のすぐそばまでクレーターが生じ、海水が流れ込んで入り江を形成した水際の街・・・
 それがサヤマニュータウンの姿だった。

「すっかり春らしくなったよな。下の方じゃお花畑が広がりだしてるぜ」
 男は、その家の小さな庭で洗濯物を取り込んでいる小柄な夫人に、挨拶代わりの一言を告げて、庭に足を踏み入れた。
 イージーオーダーの背広は少しくたびれてきたところだったが、何か大仕事をするときにゲン担ぎとして愛用している背広だったために、今回もこれに袖を通した。ろくでもない人生であっても、修羅場をかいくぐって何とか生きのびている。それくらい運を掴むことのできた背広だと、彼は本気で思っている。
 が、旧知の仲とはいえご夫人との対面という手前もあり、シャツと靴だけは久しぶりに新調した。だから左足に少し靴ずれが起きている。
「うまくいったよ。ヤマトはこの1年よく頑張った。明日一番のシャトルで宇宙へあがれる。向こうの受け入れも手はず通りにやってくれる」
 ぶっきらぼうな物言いだったが、男の口調には、彼が通り過ぎてきたであろう年月がそうさせる、優しさが感じられた。
 夫人は仕事の手を休め、あらためて男に礼を言った。
「忙しいのにありがとうございました。でも、息子のわがままなんか聞き入れてもらえるとは思ってなかったから、ほんとは無駄骨を折らせちゃうんじゃないかと心配してたの」
「ま、戦争終結が宣言されたとはいっても、不穏分子の噂は絶えないからな。まともなやり方じゃ渡航の許可は下りなかったかもしれんよ。君ら自身は何の関係もなくても、かつてのカラバの幹部の身内だからな。宇宙で行き先にたどり着くまでは、連邦の監視がつきまとうくらいは我慢しなきゃならん」
 男は夫人に勧められて、庭先の小さなテーブルセットに足を運び、椅子を選んで腰を下ろした。以前は2つのテーブルにそれぞれ3つずつの椅子が用意されていたのだが、片方のセットはいつのまにか片づけられていた。
 それに気がついたのは、今回の仕事を夫人から依頼され、この家をたずねた1年前のことであった。
 今、小さな庭に残されている椅子は3つ。そのうちのひとつには、たとえ夫人が何も言わなくとも決して座ってはならない。
 男は自分自身でそう決めつけている。
「居間の方がいいかしら。春らしくなったっていっても、まだあたたかいとは言えないでしょう?」
「いや、ここでいいさ。戦争の名残っても、海は海だ。海を見下ろせる場所ってえのはそれだけで落ち着く・・・ 最近さ、ようやくそういう気持ちってやつに浸れるようになってきたんだ」
「それはいいことだわ。男の人って、大声で泣くだけ泣いて気を紛らすこと、できないものね」
 夫人はそう言い残して一度、家の中へ入り、少し間をおいてビールグラスとライトビールを3人分用意して戻ってきた。
「息子の門出を一緒にお祝いしてくれるでしょう?」
「そうだな。いただくとしようか」
 ライトビールが3つのグラスに注がれ、ひとつは空いている椅子の前に置かれた。
「君は若くして子だくさんのママをやってきたが、今度の祝杯は特別感慨深いんじゃないのかい?」
「本当はそうなのかもしれない。先に送り出した3人の子供たちだって、本当の家族だと思っているけど、あの子は主人の血を受け継いでいるたった1人だから。でもあの子は、そのことをすごく重荷に感じていたの」
 夫人の言葉に、男は彼女の息子と一晩かけて対話したときの、多感な少年の心の叫びを思い出した。  
 
「僕は、ここにいることだけで親に甘えてしまっているんです。僕は兄や姉や母さんの宇宙での苦労も知らないし、父さんのことも知らない。ただかわいがられて大きくなってきて、あるとき何かがぽっかりと抜けていることに気がついたら、家の中で僕自身が他人みたいに思えてしまった。
 ときどき母さんをたずねて帰ってきてくれる兄と姉の顔を、僕はまともに見られないんです。自分自身がすごく傲慢なようで、僕は僕が大嫌いなんです。でもこのままじゃ、僕はきっと厭な男になっていってしまう。だから、今はここから逃げ出したいんです」

 夫人の家庭環境が悪いとは、この家族を知る誰であっても思わないだろう。彼女の末の息子は、自身が言うように傲慢で甘ったれなのだと、男は感じていた。
 だが少年の叫びには、大人になるためのチャンスを掴みたいという切なる願いと、血のつながらない兄姉たちへの、少し勘違いをしながらもの思いやりとが見えた。
 男の中に、久しく眠っていた“共振”が呼び起こされた。
 男は少年の鼻面に思い切りはじけるデコピンをかまし、それと引き替えに宇宙へ旅立つ算段を整えてやることにした。 
 この1年はその仕事だけに奔走してきた。
 男は海軍戦略研究所(S・N・R・I:サナリィ)が連邦政府に対して、モビルスーツの小型化を提言した背景に『DAIコンツェルン』の意志が働いているという久しぶりのスクープを握っていたが、同じ『DAIコンツェルン』の発言力と、少年の身柄の預け先を獲得するために、この情報を『DAIコンツェルン』に買い取らせなくてはならなくなった。
 それはそれで、仕方がないと彼は駆け引きに出たのである。
 そうして季節が一巡りした。
「血が騒ぐというか、呼び合うものなのかもな。図らずも“艦長”んとこの倅に一番乗りはもってかれちまったが、いよいよ“子供ら”の時代が始まるのかもしれん」
「つくづく恵まれた子なんだわ。主人のおかげで難民扱いされずに地球で生活していけるのに、わざわざ宇宙へあがるんだなんて」
「非行に走るよりゃなんぼかましさ。むしろ君は胸はってりゃいい。世間知らずだけどまっすぐに育ってるじゃないか」
 なあ、と、男は誰もいない椅子に顔を向けた。グラスの中のライトビールが泡立っている。
「ところで、君はこれからどうするんだ。子供たちはときどき帰っては来るだろうけど、当分は1人きりだろう」
「逃げ出していっても独立していっても、子供たちが帰ってこられる場所は残しておいてあげたいの。だからここでみんなの家になるって決めたのよ。子供たちや主人だけじゃなくて、“船”で一緒に過ごしたみんなの帰れる場所って」
 夫人はにっこり笑ってビールを口にした。
 彼女は年齢よりも若く見える童顔だったが、彼女自身も幾多の苦楽を積み重ねて、すっかり大人になっていたのだと、男は思った。


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